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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 west[84]

投稿日:2013年2月21日

鑑真上陸の地

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 野間池漁港から国道226号で東シナ海の海岸線を南下していく。
 野間岬がよく見える。
 絵のようにきれいな黒瀬海岸でアドレスを停める。ここは「瓊瓊杵尊上陸の地」といわれている。
 記紀神話の天津神、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は天照大神の孫になる。天照大神の命を受け、父神の代わりに瑞穂の国(日本)の統治者としてやってきた。国津神・大山祇神(山神)の娘、木花開耶姫を妻とし、彦火火出見尊(海彦山彦の山彦)を生んだ。彦火火出見尊は国津神・海神の娘、豊玉姫と結婚し、初代神武天皇の父親の鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を生んだ。ということで瓊瓊杵尊は神武天皇のひいおじいさんにあたる。
 瓊瓊杵尊と木花開耶姫の出逢いの場所は「笠狭之碕」で野間岬のことだ。黒瀬海岸の近くには2人の住んだという「笠沙宮址」がある。東シナ海の対岸は揚子江(長江)の河口。日本制覇を目指す天孫の瓊瓊杵尊一行は、黒瀬海岸に上陸すると薩摩・大隅の隼人一族と戦いながら霧島周辺で勢力を拡大していった。高千穂峰山麓の霧島神宮の祭神は瓊瓊杵尊だ。
 黒瀬海岸の南の秋目海岸は「鑑真上陸の地」。ここには鑑真の石像が建っている。
 唐の高僧、鑑真は日本への渡航に5度、失敗し、ついに天平勝宝5年(753年)の6度目の渡航で日本上陸に成功。失明をおしての渡航だった。石像の上にある「鑑真記念館」(入館料200円)では、そんな鑑真の生涯を展示品やジオラマで詳しく知ることができる。
 ところで日中国際フェリーの「神戸?上海」、「大阪?上海」を往復している「新鑑真号」は鑑真にちなんだ船名だが、それ以前の「鑑真号」には天安門事件前年の1988年に乗船。妻と子供3人を連れて神戸から上海に渡った。鑑真像を見ていると、あの時の「鑑真号」での船旅がなつかしく思い出されてくるのだった。

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国道226号から見る野間岬
風光明媚な黒瀬海岸


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黒瀬海岸の「瓊瓊杵尊上陸の地」
「鑑真上陸の地」の鑑真像


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